東京オリンピックの開会式の楽曲制作を担当していたミュージシャンの小山田圭吾さんが、1990年代にインタビューを受けていた雑誌で壮絶な”いじめ”をしていたことが明らかになり、話題になっていますね。
しかも、その”いじめ”の内容は、障害者の方にも過激な行為をしていたことが詳細に書かれており、非常に心が痛くなる物ばかり・・・。
大きな波紋を呼んだ小山田圭吾さんのインタビュー記事は、瞬く間に拡散され、ネット上で次々とリークされる事態となりました。
今回は、その小山田圭吾さんのインタビュー記事について、情報を分かりやすくまとめてお伝えしたいと思います。
小山田圭吾のいじめインタビュー記事の雑誌内容まとめ!
ネットニュースで数々のいじめエピソードを世間に知らしめてしまった小山田圭吾さんですが、その情報元は主に90年代のまだネットが普及していない時代のものでした。
- 月刊カドカワ[1991年]
- ロッキンオン・ジャパン[1994年]
- クイック・ジャパン[1995年]
- 月刊ギグス[1996年]
- 音楽誌が書かないJポップ批評(25)[2003年]
2021年7月20日時点で明らかになっている”いじめ”に関するインタビュー雑誌は5つも出版されていました。当時はインターネットもなく、TVや新聞で情報を収集するしかなかった時代ですから、世間の目にも触れなかったのでしょうね。
いじめ内容全文①:月刊カドカワ[1991年]
小山田圭吾さんのいじめ内容が世間に公表されることに至った雑誌が1991年に発行された「月間カドカワ」です。
こちらの記事で、小山田圭吾さんが過去に行なっていたいじめの数々によって、小学生時代にクラスメンバーが作った文集に「小山田くんの嫌なこと」というタイトルの作品があったという話をされていました。
「小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、『小山田君の嫌なこと』とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集は見せられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部をかけて復讐した(笑)」
そのほかにも高校生のエピソードでは、
「K(編注・小山田氏はインタビュー中で「知恵遅れ」と表現)は鼻炎だから、いつも鼻をかんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュを買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた」
と言ったかなりサイコすぎる話もされていました。もしかすると幼少期から小山田さんの性格はいじめっ子気質だったのでしょうね。
いじめ内容全文②:ロッキンオン・ジャパン[1994年]
そして、1994年発行の「ロッキンオン・ジャパン」では、とても信じられないような内容のいじめ内容をインタビューで答えていました。
・『人の道に反してること。だってもうほんとに全裸でグルグル巻きにして、オ●ニーさせて、ウ●コ食わせてバックドロップしたりさ』
・『だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)』
・アイディアを提供することに関して、『そうそうそう!こうやったら面白いんじゃないの?って(笑)』
と記事に書いてある内容の一部をピックアップしただけでも、かなりエゲつない行為をしていたことが分かりますね・・・。
しかもいじめの加害者になるのではなく、あくまで間接的にいじめをするために、ただ指示をするだけというのが、かなり陰湿ですよね。
いじめ内容全文③:クイック・ジャパン[1995年](※いじめ紀行)
そしてニュースで最も話題になったのが、こちらの『クイック・ジャパン』1995年8月号のインタビュー記事です。
小山田圭吾さんは、私立の和光学園に小学生〜高校生までずっと通学していたのですが、学校に在籍していた障がい者の子供達に対してもいじめを行なっていた事をインタビューで語っていました。
いじめを行なっている当事者が、何も悪ぶれることもなく笑ってインタビューに応じているのが理解できないですね。
こちらの雑誌では、いじめの被害を受けた方の家族に対して取材をしていたのですが、息子さんや家族にも思い出したくない嫌な過去があるにもかかわらず、アポなしで取材班が凸撃していました。
事実を確かめるという前に、被害を受けた息子さんと母親の気持ちはどうなるのかという想像力が欠けていますよね。きっと思い出すだけで辛い事もあったはずですが、お母さんは、対談には応じないとしながらも、「小山田君も元気にやっているみたいだし」と言った大人な対応をされていました。
いじめ内容全文④:月刊ギグス[1996年]
実は問題となったいじめ自慢インタビューのほかにも、小山田圭吾さんは、1996年発売の「月刊ギグス」2月号(シンコーミュージック・エンタテイメント)のインタビューで、入院中の方が亡くなったにもかかわらずギターで騒いでふざけていたことを明かしていました。
「フリッパーズ・ギター」としてデビューする直前の出来事として、入院した時の話をしていた。友人と一緒になって病室でギターを弾いて騒いでいたという。 「ふたりとも寝ないから、夜中にガンガンやってると、癌の末期患者の人とかの呻き声が『ウーッ』とかって聞こえて来る(笑)」と、なぜか末期がんの人を笑う。 さらに、「機械につながってるんだよ、そういう人とかって。『ピーン、ピーン』とかいう機械みたいなのがあって、夜中に『ピー!』とかって音が反応するの(笑)。それで『ああ、今日もまたひとり死んだ』とか言って(笑)。『夜中にあんたたちがギター弾いているからだ』って看護婦さんに怒られた(笑)」と死の瞬間も笑っていたという。
小山田圭吾さんはこのエピソードを「心暖まる話だよね」と語りだす始末で、人と思えない露悪性を感じます。
いじめや障がい者差別もそうですが、 高齢者や病気の人に対していたわる気持ちを全く持っていない所が非常に怖いですよね。
いじめ内容全文⑤:音楽誌が書かないJポップ批評(25)[2003年]
2003年4月に出版された「音楽誌が書かないJポップ批評」では、
小山田圭吾のいじめ紀行の数々にネット上は大荒れ
[chat face=”man1″ name=”” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]どこからどこまでが本当かはわからない。が、小山田氏に限らず、こういった話を真面目に出来てしまう人間性の人は本当に良くない。
これは月日の経過が解決するものではなく、人としての性根だから変わり用がない。[/chat] [chat face=”man1″ name=”” align=”right” border=”gray” bg=”none” style=””]この人の名前くらいしか知らないのだけど、かなりやばい人だよね。
ちょっと猟奇的な物を感じる。
名前は知ってたけど、音楽も聞いたことあるかどうか知らない位の人なのに、何故この人が選ばれたのかも不思議。誰が推したの、こんな人。
受ける方も受ける方だわ。直前にこんなことになって本当に迷惑。[/chat] [chat face=”man1″ name=”” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]イジメ内容といい、亡くなっていく人達を笑うなんて完全にサイコパス。人の苦しむ姿が快感で仕方ないんだと思う。感情が無いんだから、そもそも反省なんてしたくても出来無いんだ。病院だから、世の中に出てくるな[/chat] [chat face=”man1″ name=”” align=”right” border=”gray” bg=”none” style=””]どの雑誌にも共通して言えるのは、「よくこの話を、そのまま記事にしたねぇ」ということ。
弱者に対して、今より当たりが強い時代だったにしても、笑える話ではない。
リアルタイムで読んでいたら、すごく嫌な感じがしたと思う。
他人の気持ちに何が何でも寄り添えとまでは言わないが、嘲るのは無し![/chat] [chat face=”man1″ name=”” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]色々、掘り出されるな。
近年はインタビュー受けている様子は無くクールなイメージだったが、
クールどころか冷酷な人物だったんですね。
作品には罪は無いですが、このイメージを覆すのは不可能だ。[/chat]