奈良県警の鬼塚友章本部長が安倍元総理の射殺された襲撃事件を受け、責任を取るために辞職の意向を示していることが明らかになりましたね。
国家公安委員会としては2022年8月25日、奈良県警のトップである鬼塚友章本部長らを含めた幹部2人を懲戒処分としましたが、鬼塚氏はそのまま辞職する意向だったようです。
鬼塚本部長は事件翌日の会見で「今回の警護警備に問題があったことは否定できない」「27年余の警察官人生での最大の悔恨、痛恨の極み」と、今回の事件を受けてかなりショックを受けている様子でした。
そんな鬼塚友章氏の警察官としての経歴は超がつくほどのエリートで、警察本部からの信頼もかなり厚かったと言われています。
今回は、そんな鬼塚友章氏の経歴について深堀りして参ります!
【奈良警察長】鬼塚友章の経歴が超エリートすぎると話題に!
奈良県警の本部長である鬼塚友章氏の経歴ですが、警察に入社してからの経歴は凄まじく、1995年に警察庁で勤務を開始してからたった3年で長野県の警察本部の警備部警備第一課長に就任。
その後は2001年には神奈川県の警察本部の警務部や総務部の管理官を務め、警察本部の官僚としてのキャリアをスタートさせました。
2008年7月には在イタリア日本国大使館の一等書記官を務めていました。
さらに2011年8月にはわずか30歳で警察庁警備局公安課の理事官に就任するなど、警察官として理想的な素晴らしいキャリアを築いてこられました。
その後は、2016年に警察庁警備局警備課警護室長に就任。2017年8月には警察庁第一方面本部長に就任、2020年には内閣官房国家安全保障局内閣参事官に任命されました。
そして2022年3月に奈良県警察の本部長に就任し、8月25日に辞職の意向となりました。
この27年間の警察キャリアの経歴を見るだけでもとんでもないエリートコースを進まれてきた人物だということがよくわかりますね!
【wiki風】鬼塚友章の経歴や学歴についてまとめ
名前 | 鬼塚 友章(おにづか ともあき) |
年齢 | 50歳(2022年8月時点) |
出身地 | 福岡県 |
出身大学 | 九州大学法学部卒業 |
入庁時期 | 1995年から勤務開始 |
直近の職歴 | 奈良県警察:本部長(2022年3月〜8月末まで) |
【鬼塚友章氏の主な経歴】
[1995年3月]九州大学法学部卒業
[1995年4月] 警察庁で勤務開始
[1998年8月]長野県の警察本部で警備部警備第一課長に就任
[2001年3月]神奈川県の警察本部で警務部首席管理官兼総務部首席管理官として勤務
[2008年7月]在イタリア日本国大使館の一等書記官に任命
[2011年8月]警察庁警備局公安課の理事官に就任
[2016年9月]警察庁警備局警備課の警護室長に就任
[2017年8月]警視庁の第一方面本部長に就任
[2020年8月]内閣官房国家安全保障局内閣参事官に就任
[2022年3月]奈良県警察本部長に就任
鬼塚友章氏の経歴について情報をまとめてみましたが、1995年に警察官として入庁してからの27年間の間で凄まじい経歴をお持ちでいらっしゃることが分かりますよね。
しかも鬼塚友章さんは、警察に入庁してたった3年で警備部の第一課長になり、30歳で警察本部の官僚、さらにはイタリア日本国大使館での書記官や内閣官房国家安全保障局内閣参事官も任命されているなど輝かしいキャリアを築かれていました。
鬼塚さんは警察官の中でも警備局の部門に特化されていて、そのキャリアはまさに”警備のプロ”と呼ばれるにふさわしいものでした。
今回の安倍元総理の襲撃事件をきっかけに辞職をすることになってしまいましたが、ネット上では、鬼塚氏についての今後を心配視する声も見受けられますね。
鬼塚氏にとってはキャリアに傷がつく形になってしまい残念な気持ちかもしれませんが、これだけ長年もの間日本警察に貢献してきた人物であれば、それなりの天下り先も用意されていることでしょうし、新しい環境で頑張ってほしいですね。
鬼塚友章の出身学校は九州大学で地元は福岡県だった!
警察官としてとてつもないキャリアコースを進まれてきた鬼塚友章氏の出身大学は意外にも九州大学法学部出身だということが判明しています。
元々鬼塚友章氏の地元は福岡県だったということもあったので、九州の中で優秀な国立大学ということで九州大学を選ばれたのかもしれませんね。
九州大学の卒業した著名人の中には、
・元アナウンサーの川谷伊代さん
・元国家公安委員会委員長の泉信也さん
などTV業界から警察関係まで多くの人物を輩出しています。
また、鬼塚友章氏の出身高校については、地元の福岡高校を卒業しているという情報がTwitter上にありました。
人事ガチャ 最大の悔恨、痛恨の極み
鬼塚友章本部長は奈良県警に今年3月に着任したばかり
福岡高校
九州大法学部
警察庁入庁内閣情報調査室に勤務時、当時のトップ・北村滋情報官に見いだされ、北村氏がNSC(国家安全保障局)に転じる際に従い
北村氏の辞職後ようやく警察庁に戻ってきて…— ドラジェの精 (@drageenosei) July 11, 2022
そもそも警察庁警備局は、いわゆる“国家公務員キャリア組”で、全国の公安警察・外事警察の中でもエリートしかなれない狭き門です。
国家公務員総合職試験を受験して警察庁に採用されても、キャリア組のほとんどが東大卒が中心になると言われる公安の門を30歳で叩いたのは本当に凄いですよね。
きっと警察官としてのお仕事も凄い真面目で勤勉な方だったんじゃないかなと思いますが、今回の辞職は本当に残念でなりませんね。